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春の足音が少しずづ聞こえる時候となりました。今年は、コロナ禍のせいでしょうか、インフルエンザの感染の声を聞かない珍しい年ですね。暖冬と言われて久しい中、一月中旬にかけては、きびしい寒さもありました。北陸・東北・北海道は、例年より雪も多く、厳しい寒さとなっているようですが、東京に関して言えば、やはり暖冬と言えるのではないでしょうか。昨年は、この頃からコロナ感染が拡大し、卒業式や入学式が執り止めになったり、縮小された形で行われたようです。今年は、現状では、執り行われる予定のようですが、コロナの感染状況では、まだ、分からない状況です。三月に入ると、子どもを持つ親子でさんにとっては、なんとなく気忙しく、またもの哀しい季節でもあります。小学校六年生にとっては、長い小学校生活に別れを告げる時でもあり、中学校三年生にとっては、あっという間の中学校生活に別れを告げる時でもあります。高校三年生にとっては、規則的な学校生活はの別れでもあります。こうした出会いと別れを繰り返しながら、私たちは生きています。そのたびに、喜んだり哀しんだりして、一つ一つ大人の階段を上がっていきます。それを成長と呼ぶのでしょう。これも、人間の不思議な一面と言えるのかもしれません。迎える四月の新しい出会いに、期待と不安を抱きながら。

― 「 日々雑感 」 ― 

前述したように、三月というのは、子どもたちにとって大きな節目の月と言えます。その節目は、今まで何の不思議もなく、卒業式や入学式として執り行われてきました。それが、昨年と今年、子どもたちは、入学式から始まって運動会、六年生や中学生にとっては、思い出に残る修学旅行。その他にも学芸会、作品展等々、小さな行事も併せて、執り止めや縮小となりました。本来そこで作られる様々な思い出が、このコロナ禍で子どもたちの心の中に作られませんでした。その上、様々な制約を受けて日々の生活は、子どもたちに計りしれない心の不安を抱かせたに違いありません。そんな中、一つの小さな記事に目が止まりました。「小・中・高校生の自殺、コロナ禍の2020年は過去最高となり、479人に上った。2016年289人・2017年315人・2018年333人・2019年339人に比べると、この5年間で最も多く、140人増加。内訳は小学生14人(男子4人・女子10人)・中学生136人(男子74人・女子62人)・高校生324人(男子191人)と報じられていました。問題は、その原因なのですが、大きく3つあると指摘されています。1番目に「進学の悩み」(156人)が挙げられています。これは、主に中高校生に見られるようですが、自殺する原因に挙げられることなのかな、と私は思います。それは、「進学の悩み」と一括りにされていますが、実は、小さな悩みであっても、誰にも相談できないという不安感が世の中から見放され、独りぽっちになってしまったという孤独感、そして、これ以上生きていても・・・、という子どもたちの心は、想像できます。2番目に挙げられている「学業不振」(52人)についても、やはり誰にも相談できず、自分の能力を他人と比較されることに疲れてしまった子どもの姿が、そこにあります。そして、3番目に「親子関係の不和」(42人)が挙げられています。それぞれ親子は、状況を抱えています。理想的な親子像などあるいはずもありません。そもそも、親子になること、そのことが、奇跡の一つです。両親から奇跡の子として生まれてきたのです。そこから、子の成長に不安と驚きと期待をかけて共に生きているのです。そこに不和という言葉は、とても不似合いです。親の思うとおりに育つ子などいないと思います。それは、親の思い通りの子であって、子どもにとっては、親の思い通りに生きることに疑問を感じることがあるでしょう。その時に親の真価が問われます。どこまで子どもの生き方を尊重して、見守ることができるか。親は子供のためを思い、レールを引きます。そのレールを子どもは、感謝することもあれば、反抗することもあります。親子とは、そのようなことを繰り返しながら、いずれ、子は親の元を去っていくものだと思います。ただ、今の時代は、そのようなことも一括りできないのかもしれません。難しい問題だと思いますが、それぞれ大人たちが、考えを止めてしまったら、子どもたちの行き場所は、なくなります。私の子どものの時とは、置かれている社会状況、情報の多さ、そこから生まれる人々の生き方が、大きく変化しています。ただ、変わらないのはものがあります。それは、人間の智慧です。『生きていいることは』とても『有難い』ことなのですから。それだけは、忘れないで生きていきましょう。

― 了 ー