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 ― 「 日々雑感 」 ― 

寒中お見舞い申し上げます。

今年も、年の始めからコロナの闘いを強いられています。会員の皆さまには、恙なくお過ごしの事と思います。今年の立春は、二月三日です。つまり「節分」は、二月二日になるということです。これは、何と、明治三十年(1897年)以来124年ぶりなのです。ただ、三日ではなくなるということで言うと、昭和59年(1984年)は、2月4日(節分)でしたので、それ以来37年ぶりだそうです。

「節分」ということばは、『季節の分かれ目』という意味なので、本来、立春・立秋・立夏・立冬の前日を言います。日本は、四季(春夏秋冬)の移り変わる国です。その移り変わる季節に、日本独特の風情が、うまく溶け合っていろいろな季節の言葉を生み出しました。その言葉の一つが「節分」と言えるでしょう。いつの頃かははっきりしませんが、立春の前の「節分」だけが残りました。昔は、旧暦でしたので、現在のように2月3日は、ではなく、12月に行われていました。明治5年に明治政府は、旧暦を廃止し、現在使われている太陽暦を採用するようになってから、2月3日を「節分」というようになったのです。こうした、日本の文化や風習は、人々の英知によって長く伝え続けられ、現在に至っています。消えさせることなく、伝え続けられてきた人々の智慧、そして活力を大切にして後世に伝えていくこと、これも私たちが生きていく中で大切な役割なのではないでしょうか。

さて、一年以上続いているコロナ禍で、人々の生活様式が、ずいぶん変化してきました。まず、何処へ行ってもマスクをしていない人は、あまり見られません。マスクを忘れてしていないと、周りの目がとても気になります。何か悪いことをしているような気になります。「今、マスクはワクチン替わり」と言われるぐらいですから、マスクは外出の時の必需品になってきました。飲食店では、食べる時だけマスクを外して、食べ終わるととマスクをしてお話をしている光景を目にすることが多くなりました。一度目の「緊急事態宣言」の時は人の接触は最低七割、極力八割減らすという目標をたて、約一か月実施されました。その後、感染者数も減り、このままで収束するかに見えました。ただ、感染者数は〇にはならないまま世の中は、少しずつが動き始め、人々の外出規制も緩められました。その結果、七、八、九、十、十一、十二月と徐々に増え続け、年明けには日々最多を記録し、一月五日には千人を超え、一月七日には、二千人を超えました。そして、一月七日には、第二回目の「緊急事態宣言」が発布されました。そして、二週間経った今、第一回目の「緊急事態宣言」とは違い、飲食店の時短要靖働く人々には七割テレワークを要靖、この二本柱を基に発令されましたが、一般の方々の意識は、以前ほどの緊張感はなく、街中は第一回目よりはるかに多い人手となっているようです。そんな中、連日マスコミは、医療が切迫の度合いを深めていると報じています。その上、コロナ患者対応の為、一般の救急医療にも支障をきたしているとも報じています。そうした中、都は、都民に再び「スティホーム」が呼びかけられ、生活に閉塞感を増しています。各自その中で、どのように過ごしていくのかが、今問われているような気がします。そこで一つ、生活習慣の見直しをしてみては如何でしょう。人は、人と語り合うことで、明日への活力が得られてきました。それが、今かなり制約されています。オンラインという新しい方法も生まれました。でも、日本には、少し前まで人との語り合う手段として「手紙」というものがありました。親しい友、遠方の両親、先輩、恩師等々。「手紙」は、人と人の心を通わせる力があり、「手紙」を通して語り合うことで心の繋がりを深めることが出来ます。今、もう一度『文(ふみ)』を書いてみてはどうでしょう。以前、遠方に引っ越した友人からから来た便りを、今でも時折読むことがありますので、一部ご紹介しましょう。

「私は、よく人生って紙一重だなと思うことがあります。幸、不幸は、その人、それぞれの心の持ち方によるのだと思います。一日一日を自分なりに精一杯生きている人は、それ自体で倖せと言えるのだと思います。過去がどんなに倖せであっても、不幸であっても、未来がどんな倖せや不幸が約束されても、それはあくまで今ではありません。一日一日のたしかな生き方、それ自身が倖せなのだと思います。だから『一日一日』なんだと思い、日々過ごしています。」と。

こんな便りを頂くと、心がほっこりしてきます。皆さんも古い友人に、偶には手紙を書いてみてはどうでしょう。

― 了 ー