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令和も三年を迎え、会員の皆様には、今年一年佳い年でありますようお祈り申し上げます。

今年は、辛丑(かのとうし)の年です。昨年は、新型コロナウイルスで明け、大晦日には、千三百人を超える感染者が出ました。年末、年始も四・五月に聞き慣れた「ステイホーム」を心がける日々になりそうです。当書道会も開設以来五十年を超えました。これまで、約八千人余りの方々が、お寺の門をくぐって「書」を学ばれました。中には、親・子・孫三世代に亘って習われた方もいらっしゃいます。とても有り難いことです。開設以来の指針としてきました「書を通して心の豊かさを育てていきたい。」を心に刻みながら。



 ― 「 日々雑感 」 ― 「一年の計は元旦にあり」

今年は、新型コロナウイルスの影響なのかもしれませんが、年賀状を例年より多くの方々が出されているようです。正月の風物詩である年賀状は、年ごとにスマホ等のメールの普及で減ってきているようです。昔、まだ子供の頃、父の元に多くの年賀状が届いていました。それは、大げさに言えば、父の威厳のように思えました。「いつか、自分にも多くの人たちから年賀状がもらえる大人になろう。」と、思ったものです。今考えると、苦笑してしまいますが。

今年も多くの年賀状が届きました。その多くは、印刷されたものですが、中には、一筆添えられて届くものがあります。難病で長く患っている檀家さんから「症状は、おもいのほか穏やかに進行しているようです。ヘルパーさんにサポートしてもらう時間は増えていますが、自室での生活を続けています。」という添え書きを頂き、何かホッと温かいものを感じました。また、今年は、檀家さんの多くの方々から「昨年は、大変な年でしたね。お寺の皆さまにも大分ご無沙汰して申し訳なく思っております。今年はコロナもすっきりして欲しいです。早くお参りが出来るよう、心からお祈りしております。」と。祈りにも似た書き添えを多く頂きました。また、長くお習字に通っている生徒からは「昨年は、大変お世話になりました。こんなに書道を楽しく感じ、長く続けることが出来ているのは先生のおかげです。本年もどうぞ宜しくお願いします。」と。小学生の一年生からはや二十年以上が経ち、こうして書き添えを頂くことで、とても嬉しい気持ちになります。私が、以前地域の方々と関わらせて頂いた頃、大変お世話になった方なのですが、昨年末亡くなられました。この方の年賀状は、ハガキに「迎春」の穏やかな文字とその年の「干支」が墨絵で描かれ、「今年は佳い年になりますように」という添え書きが、年に一度ですが、とても心に残っています。今年は、その年賀状が届きません。一抹の寂しさを感じます。四十年ほど前、大学卒業後に教員免許を取得するために通った大学来られていた、少し上の現役の国語の先生が、書道の免許を取得するため通った大学で一緒に学んだ方から、年に一度の年賀状が届きました。毎年一回の年賀状が、お互いに一年の無事息災を喜ぶ日となりました。その方も齢(よわい)七十半ば過ぎになります。今年の添え書きにも「近くに来られた時は、ぜひお立ち寄り下さい。」と。過ぎ去った日々を振り返るより、常に前に向かっている姿に勇気付けられる方でした。また、ある方は「お元気ですか。息子も、今年年男です。私も昔、年女で豆まきをさせて頂いたことを懐かしく思い出します。今年も良い年でありますよう祈っております。」と。この方も二十年以上前からお習字に通っている生徒です。今は、良き母になっています。こうして、今年も多くの人たちから一年一度の便りが届きました。そうした一年の年賀状が、過ぎ去った思い出を呼びましてくれたり、明日への思いを新たにさせてくれたり、心温かな気持ちにさせてくれます。こうした、日本の習慣は、時代の流れとともに変化していきますが、伝統ある習慣は文化でもあります。大切に伝えていきたいですね。その中で、人と人の関わりの意味を思い起こすのも正月ならではかもしれません。『歳月は人を待たず』と言います。この年の始めに時の流れを感じる中で、一日一日を大切に生きて行きたいですね。

― 了 ―     

   『程 人間万事此一字』《程(ほどほど)》

最近、読んだ本で「さすらいの仏教語」(玄侑宗久著)の中に出てくる言葉です。「事に偏らず、物に執着しない心を忘れなければ、人間は実に楽なもの。」という意味ですが、中々難しいですね。