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【新年度にあたって】

陽春を迎え、皆さまにはお元気でお過ごしの事と存じます。ただ、昨年の2月からもう一年以上も続く新型コロナウイルスの感染拡大に、皆さまも心が晴れない思いをしていることでしょう。今年は、縮小さらた形で卒業式も行われたようですね。本来であれば、新しい出会いに期待と不安を持ちながら、周りから祝福されて迎える入学式も、本来の姿では行えなかったようです。それでも、やはり4月は、ものごとの新しいスタートという感じがします。そこで、今回の『寺小屋だより』は、新年度にあたって「日本の文字」についてお話ししましょう。
「文字」は、「伝える」という大きな役割を持っているですが、その前に「文字」がない時代はどんな方法で「伝え」ていたのでしょうかを少し考えてみましょう。
動物たちは、本能に応じて啼き声を出したり、吠えたりしてします。それは、相手に何かを「伝える」ためです。人も、まず声を発します(これは、他の動物たちの本能と同様と言えるでしょう)。つまり。《オギャー》と泣くことで自らの誕生を「伝え」ます。そして、次第にいろいろな言葉を覚えていきます。「ことば」は、人と人の繋がりを作るために、とても重要な役割を持つようになってきます。その中でことばの数が増え、ことばとことばを結ぶ力もついてきます。5歳ぐらいになると、殆どの子ども達は、大人との会話が出来るようになります。そして、入学する頃には多くの子ども達が、ある程度のひらがなは書けるようになります。こうして、「話す」「聞く」「書く」いうことばに関する大きな三つの学習をしながら、この三つのの学習をしていきます。「話す」ということは、相手に自分の意思を伝える作業として、生きる上で大切な役割を果たしていくことを知ります。
日本のことばは、話す上でとても難しい意味になります。例えば「はしのはしではしを落としてしまった。」と言っても、中々意味を理解しにくいでしょう。これを漢字に書き直してみると「橋の端に箸を落としてしまった。」となり、意味がはっきりします。書くという作業が必要となってきます。もう一つ「聞く」ということも人間ならではの大切な作業ですね。「聞いた」ことを留めて「書く」という作業へ続けることで、より確かなものとして伝わります。つまり、日本のことばは、こうして、「話す」「聞く」「書く」という作業の中で、独特の文化を生み出しました。
その「文字」が、今記号化しているように思うのは、私だけでしょうか。「話す」「聞く」「書く」という3つの要素が上手く重なり合って、「文字」は生き生きとして「文字」の役割を果たしてきました。自分の意思を伝えたり、人の心を感じたり、そうした生きてる上で大切な感性を育ててくれてきました。でも、現実に目を向けると、スマホ・パソコンの普及で「話す」「聞く」「書く」ということをしなくても事が足りてきているのです。その事が、文字離れを生んでいます。このまま、「文字」離れが進んで、「書く」という作業が減ってくると「文字」の持つ感性が失われてきます。そう思うと、少し心の温度が下がってしまいます。日本の「文字」は、「漢字」「カタカナ」(漢字の一部)「ひらがな」(漢字を崩したもの)の3つの形態を持っています。書体から見れば、「楷書」「行書」「草書」「隷書」「篆書」「仮名」の6体があります。そうした、様々な要素からなる日本の「文字」は、「文字」そのものに芸術性を持っています。こうして「文字」は、日本の文化の中で多くの素晴らしい芸術作品を生み出しました。そんな、独特の「文字文化」を大切にしていきたいですね。「書」を通じて、「文字」の良さを知ってほしいと思っています。

ー 了