Pocket

日々雑感

いつもとは違う年の瀬を迎える今年、皆さまには、お元気でお過ごしの事と存じます。

ここにきて、また新型コロナウイルスの感染拡大が急速に広がってきています。それによって、人々は、年末を迎え不安を抱えているようです。経済を最優先に考える国の方向には、専門家からは、多くの矛盾が指摘されています。国民は今、最大限の感染防止策に取り組んでいながら生活しています。「これ以上、どうすればいいのか。」という声さえ出始めています。国民一人一人の努力が報われぬまま感染拡大は勢いを増しています。国が経済政策として行っている「GoToトラベル」に代表される「GoTo・・・」とつく政策について、それは否応なく人と人との三蜜を招くこととなります。一旦取りやめにして、感染者を減らすことは考えられないのでしょうか。また、あの第一波、第二派の時のように最悪の事態になった時に国はようやく重い腰を上げるのでしょうか。国民は外出を控え、人々との交流を避ける生活を続けることになるのでしょうか。これから、年末年始を迎え、人々の動きは活発になります。それは、同時に感染拡大のリスクを高めることになります。そうして中、国は、さらに規制を緩和していきます。「真綿で首を絞められるが如く」、ジワリジワリと生活への息苦しさ、そして生き辛さを感じていきます。子どもたちは、もっと深く心を痛めていることでしょう。毎年行われている学校行事は、その多くが縮小されたり、取りやめになったりし、授業も休校になっていた過程を取り戻すべく、授業時間を延ばしたりと子どもたちへの負担は、大変のようです。勿論、先生方の負担も大変のようですが。そんな中、SNSを通しての「いじめ」や「児童虐待」が紙面に大きく取り上げられる日が増えてきています。「言葉は時として凶器のなる」と言われますが、言葉の暴力によって、自らの命を絶ってしまう人も増加傾向にあると報じられています。私の育った時代とは、今は大きく違います。でも、変わらないことも、また多くあります。

オギャーと産まれ、この世に出て来て(そのことは、私は奇跡に近いと思っています)、純粋無垢な心は、いろいろな人たちと出会って、次第に大人の階段を上っていきます。それを、私たちは成長と呼んでいます。そこで育った知識や感性は、その後、その人の人生を支えていきます。感動して涙を流したり、別れの涙を流したり、悔しさに涙したり、『涙』一つとってもいろいろです。そうした感性が人に「耐える」ことを身につけさせてくれます。久しぶりに会えた友との再会に喜び、ものごとをやり遂げて時に喜び、何かに成功した時に喜び、心から感動した時に喜び、倖を感じた時に喜ぶ、「喜び」もいろいろな形があります。まだまだある人間の持つ様々な感情が、人々の心を作り上げ、それが世の中を作り、また人々を支えているのだと思います。産声をあげた赤ちゃんは、最初にお母さんと出会います。そして、お母さんを通じて、お父さんとであいます。ここに一番小さな、そして基となる家族が生まれます。赤ちゃんは、それから幼児(幼子)として、父母、そして父母を通じて出会った人々によって、少しずつ大きな社会に船出していきます。父母との小さい世界から学校の地域の人たちとの出会いがあります。そこで育てられた心の成長が「命の大切さ」であり、「他人(ひと)への思いやり・労り(いたわり)」でした。「人は生きている、そのことに価値がある」ということを知るのです。「意味を持たない人生なんてあり得ない」という心の基の部分が培われるのです。それが、今失いかけているように思えてなりません。人は、「生きる」そのことに大きな価値があるということを感じていられるからこそ、人の痛みの解る唯一の霊長類なのだと思います。「考えることを人間に与えたからこそ、悩み、苦しむのだ。」という考えを持つ人がいます。それは、全く逆だと思います。「考える」ことを与えてくれたからこそ、悩み、苦しみ、その悩み苦しみがあるからこそ、心から喜びを感じるのではないでしょうか。

「生きてきて、生かすことを知って、生かされている自分に出会った。すると、生きていることが有難くなってくる。」

― 了 ―